« とりあえずURLを確保。 | トップページ | 誠実さで判断する/される事のコスト?【追記あり:09/2/21】 »

2008年8月 7日 (木)

消費者金融の規制問題について。

NATROMさんのブログ『NATROMの日記』のエントリ記事「みんなそんなに借金好きか?」のコメント欄での私の疑問に、luke_randomwalkerさんが答えて頂きました。当該のコメント欄では、さまざまな議論が同時進行しているので、関連部分だけを抜き出すとこんな感じです(↓)。
 最初の私の疑問
 luke_randomwalkerさんの回答
さて、luke_randomwalkerさんの回答を読んで新たに尋ねたい事ができてしまったのですけど、あちらのコメント欄もいい加減飽和状態に近くなってきてるようですので、続きをこちらに書き留めておきたいと思います。

まず、luke_randomwalkerさんには、素人の素朴な疑問に答えていただき、ありがとうございます。理屈は概ね理解できたと思います。なかでも、筒井氏他の論文(以下「筒井論文」と略記)で紹介されているBizer & DeMarzoモデル(上限金利規制よりも追加貸出規制のほうが適切)は、素人にも直感的に納得しやすい話ですね。

さてそうなると、素人なりに即座にいくつか疑問というか不思議な点が思い浮かびます。以下、それを列挙してみます(なお、以下の文章では改めて説明するのが面倒なので、「高双曲割引の人」など、筒井論文内で定義されている用語はそのまま説明なしに使っています。その点、ご了承願います)。

【a】なぜ為政者は上限金利規制をしようとするのか?
もともと上限金利規制は、過剰消費・過剰負債や多重債務に苦しむ人を出さないようにする目的で提案されたものと理解しています。しかし、筒井論文でも繰り返し示されているように、上限金利規制がその目的のためにはかえって不適切であるのならば、なぜ、為政者(やマスコミ)は上限金利規制を提案したり推進したりするのでしょうか。
為政者としての責任や政策を実行した際の影響の大きさを顧みると、「無知」からその施策を推しているという事は考えづらいものがあります(自分たちの選んだ為政者たちが、まったく何のまともな専門的検討も専門家を交えた議論もなしに、思いつきと独り善がりの脳内シミュレーションだけで政策決定しているとは、あまり考えたくありません)。
もしも、上限金利規制の金利が、消費者金融の利潤が非負となる最低金利よりも高ければ、この規制は(当初の目的のためにはより適切と思われる追加貸出規制や貸出総量規制とは逆に)消費者金融にとってかなり「おいしい」規制に思えます(Bizer & DeMarzoモデルが指摘しているように、低金利は高双曲割引や自信過剰といった過剰消費・過剰負債の強い傾向を持つ人たちの借り入れをより促す事になるから)。そうなると嫌な邪推が成り立ちそうな気もします。
このへん、上限金利規制推進論者の本音を知りたくなります。

【b】均衡時に社会的な効用は全体として正になるのか?
上限金利規制が、「今の金利だと貸せないけど、もっと金利が高ければ貸してもいい・参入してもいい」という貸し手と、「今の金利だと借りられない(貸してくれない)けど、もっと金利が高くて良いので借りたい」という借り手(そもそも規制の対象としたい高双曲割引や自信過剰といった過剰消費・過剰負債の強い傾向を持つ人たち以外に、そんな人がいるのか?)の需給均衡の成立を妨げる事で、貸し手・借り手双方の効用が低下する可能性がある──という理屈は(たぶん)理解できました(理解が間違っていたら指摘して下さい)。
ところで、筒井論文が追究している興味関心事項とは別に、一般市民の社会的関心としては、個々の経済主体の効用よりも、社会全体としての効用の総和にどうしても興味が向かないわけにはいきません。
筒井論文の結論では、国民の約2~3割が高双曲の人、すなわち過剰消費・過剰負債に苦しむ事になる潜在的可能性をもつ借り手で、残りが消費者金融への規制によって上記の通り効用が低下する事になる潜在的可能性をもつ借り手となりますよね。このような市場の存在によって、社会全体としての効用が果たして向上していると言えるのかどうかについて、専門家・経済学者の間ではどのような見解があるのでしょうか。
たとえば、過剰消費・過剰負債に苦しむ人が一定数以上社会にいる事による社会的コスト(自己破産や生活保護リスクに起因するコストだけでなく、治安・風紀、教育・人材(労働力)供給、生産性や消費マインドへの影響といった社会的コストも含めた全体的なコスト)がどの程度になるのか──というのは、この問題を考える上でとても重要ですので、当然、専門家の間で議論・研究がされていると思うのですけど、素人がそれらの議論・研究を俯瞰するのに良い参考書などがありましたら教えて頂けると幸いです。
NATROMさんのブログ・エントリ記事の話題に即して言い換えれば、「あなたが借金して海外旅行に行く事を可能にしているシステムは、これだけの過剰消費・過剰負債に苦しむ人を構造的必然として生み出します。それでもあなたはそのシステムを利用して海外旅行に行く事を是としますか?」「私がそのシステムを利用して海外旅行に行く代償として、社会の一員としての私にはどれだけの不利益が跳ね返ってきますか?」とでもなるでしょうか。

──他にも細かい点でいくつか疑問はありますけど、差し当たって気になるのはこの2点でしょうか。自分の考えている事がどれほど初歩的なのか、または的外れなのかも分からない素人の疑問ですけど、解決して頂ける方がいらっしゃいましたら幸いです。

【追記:2008年12月28日】URLの表示がうるさかったので、直接ハイパーリンクにしました。

|

« とりあえずURLを確保。 | トップページ | 誠実さで判断する/される事のコスト?【追記あり:09/2/21】 »

コメント

田部さま、

私も経済学の専門家というわけではなく、初等的な知識しか無い人間ですが、わかる範囲でお答えしたいと思います。

>【a】なぜ為政者は上限金利規制をしようとするのか?

諸外国のこれまでの経緯について
http://www.tapals.com/archive/hakusyo2006.html 第7章 p.212〜
に解説があります。
-----【以下引用】----------
アメリカにおいても、上限金利規制に関してさ まざまな議論があり、そこには根強い消費者保護意識が存在しています。その理由として、以下の点があげられています。
①利子を取ること自体が不道徳
②“過度”の金利徴収の防止
③貸し手による利己的な搾取の防止
④消費者の浪費の防止
⑤無知な消費者の保護
-----【引用終了】----------

さて、筒井論文でご覧になった通り、これらの目的を達成するのに上限金利規制が必ずしも適切な手段とは言えません。しかし、経済学的なロジックが必ずしも為政者を含む多くの人に理解されず、政策に反映されないのはアメリカも日本も同様のようです。日本でも、これまでの何度かの上限金利規制を行う際に、政府審議会等で経済学者の意見が重視されたという話は寡聞にして知りません。

以前から警鐘を鳴らしていた研究者はいたようです。http://www.amazon.co.jp/dp/483094532X/ はそうした趣旨の研究書のようです。
また、最近では、http://www.amazon.co.jp/dp/4322105971/ という本も出ています。(いずれも未読ですが。)

上限金利規制以外にも、人々の行動に影響するインセンティブを無視して、単純な規制で行動をかえようとして失敗した例は枚挙にいとまがありません。例えば多くの教科書に載っている有名な例は、松尾先生の講義資料にもあったニューヨークの家賃の上限規制でしょう。
http://www.mii.kurume-u.ac.jp/~tadasu/kougi.html 第6回
貸家の供給が減少し、人々は賃貸住宅不足に苦しむ事になりました。そういった失敗の教訓もなかなか生かされません。残念な事です。

失敗を繰り返さないためには、「消費者金融=高金利=悪徳業者」といったステロタイプな見方や、「規制で価格(金利)を無理矢理引き下げれば解決する」といった間違った考え方を改めてもらえるよう、少しでも知識を広める努力をするしかないと思います。

今般の日本の金利上限規制は、筒井論文にあった、消費者金融市場が(1)競争的な(超過利潤のなかった)場合(2)独占的な(いわば「暴利」を貪っていた)場合(3)情報の非対称性が存在する場合という分類のいずれであるのかをはっきりさせる社会的実験と言えるかもしれません。

経済状況など他の条件を一定として、規制金利を引き下げると(1)であれば、業者の利益は減少し、利幅の小さい中小業者から順に市場から退出し、貸し出しは減少します。どの業者も供給できなくなる極端な場合は市場がなくなります。また、ヤミ金融の供給・需要がともに増加するでしょう。(2)ならかえって貸し出しは増加します。(3)ならば市場が崩壊するか、高双曲割引の借り手への貸し出しが増えて、多重債務者や自己破産の被害が増える恐れがあります。(この整理は、当初の疑問のお答えにもなっているかと思います。)

正確な判断は今後の実証研究を待つ必要がありますが、最近の報道から判断する限りでは、(1)であった可能性が高いように思われます。

すでにネット上からは消えていますが、
・大手4社の2006年度決算は1兆7千億の赤字
・大手5社の2007年度の貸し出しは10%減の見込み
・中小の撤退で、2006年度末に業者数は17%減
・2007年上半期のヤミ金検挙数は53%増
・2008年3月期、大手4社の営業収益(貸付金利息)は1−2割減少
などという報道があり、
http://www.tdb.co.jp/report/watching/press/p070801.html
のように中小業者は2000社以上減り、また大手・中堅も合併・撤退・縮小が相次いでいます。

http://www.j-cast.com/2007/07/23009551.html (プロミスと三洋信販合併)
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/business/n_merger__20080715_4/story/11reutersJAPAN327127/ (新生銀行がレイク買収)
http://credit.webcashing.com/news/51/ (アイフルが子会社3社を合併)
http://news.livedoor.com/article/detail/2886006/ (OMCカードが子会社の消費者金融を吸収合併)
http://www.j-cast.com/2008/05/12020028.html (ディック撤退)

> 【b】均衡時に社会的な効用は全体として正になるのか?

これは難しい問題で、特に、人々の効用を単に足し合わせて1つの数値として判断する事は基本的にできないとされています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%B9%E7%94%A8
の、「基数的効用と序数的効用」の部分をご覧ください。

(なお、需要曲線と供給曲線に囲まれた三角形から得られる「社会余剰」は金額 ですが、これは効用関数の値の和とは異なります。
http://www.mii.kurume-u.ac.jp/~tadasu/kougi.html
の第7回、第8回をご覧ください。なお、経済学では「微分」のことを「限界」、「等高線」のことを「無差別曲線」と呼ぶことを知っておくと理解が速いかもしれません。)

言える事は、「他の人の効用を減らす事なく、一部の人の効用を増やす(パレート改善)のはよいことだろう」と言う事ぐらいです。それ以外(一部の人の効用は増えるが別の人々の効用は減る)は、経済学でよいとも悪いとも言えない問題です。ですから、

>田部勝也「国民の約2〜3割が高双曲の人、すなわち過剰消費・過剰負債に苦しむ事になる潜在的可能性をもつ借り手で、残りが消費者金融への規制によって上記の通り効用が低下する事になる潜在的可能性をもつ借り手となります」

この場合、上限金利規制がよいとも悪いとも言えません。少なくとも根本的な解決策にはなっていません。

「非双曲の借り手の厚生が制限されるからといって、高双曲で過剰消費・過剰債務に苦しむことを放置してよいのか?」という問いにも、逆に「高双曲の人の苦しみが軽減されるからといって、非双曲の借り手を苦しめてよいのか?」という問いにも簡単に答えることはできません。

-----【以下引用】----------
「あなたはこれまで借り入れを受けられたわけですが、もし、そのときの金利や期間などの借り入れ条件で借り入れができなかったとしたら、どうしましたか。最も近いものを一つ選んでください」という質問に対して、債務整理を経験したことがない借入経験者の約10%が、「どうすることもできず、大変な苦境に陥った」と回答している。債務整理者では、そう回答している人が、1/4以上にのぼる。もし、上限金利規制によって消費者金融市場が崩壊するならば、これらの人々が不利益を被ることになる。
(筒井論文、p.40)
-----【引用終了】----------

ましてや、借り手の多くが高双曲割引というわけでもないのですから、なおさらです。

したがって、もし高双曲割引の人を見分けて、その人に対する貸し出しだけを制限できるならば、その方が金利上限規制より望ましい(副作用が無く、パレート改善的)ということになります。

長々と失礼しました。

投稿: luke_randomwalker | 2008年8月 7日 (木) 03:25

上のluke_randomwalkerさんのコメントが、ヘンな所で改行されていて気持ち悪いので、管理人権限で適当に整えておきました。不本意な修正があればご指摘下さい。

投稿: 田部勝也 | 2008年8月 8日 (金) 20:29

>luke_randomwalkerさん「しかし、経済学的なロジックが必ずしも為政者を含む多くの人に理解されず、政策に反映されないのはアメリカも日本も同様のようです」

経済学的なロジック、ひいては経済学者が信用されていないという事の表れかも知れませんね。

これまでの私の文章の行間から滲み出ていたと思うので、すでに察していらっしゃるでしょうけど、私自身が経済学的なロジックにひどく不信感が拭えないでいます。率直に言えば、理性による理解とは別物として、感情のなかに生理的な拒否感・嫌悪感が生じるのをどうしようもできない──という状態です。
たとえば、luke_randomwalkerさんが「ミクロ経済学のかなり初歩的な話」とおっしゃった市場の価格機構(需給均衡理論)や、その前提となる完全競争の条件などはどれをとっても、おそらく多くの一般庶民にとって、あまりに生活実感とかけ離れた非現実的な前提です。たとえば物理学におけるエネルギー保存則のように実感を伴った理解・納得の上で、それらの前提を受け入れるという事はなかなかできるものではないように感じます。

もちろん、一般庶民が抱くような違和感は単なる印象論・気のせいであって、それらの前提にはちゃんとした正当性があるのでしょうし、たとえ瑕疵があったとしても、そんなものは当然織り込み済みの上で論理体系が築かれているのでしょうけど、そのあたりの啓蒙は一般の庶民(や為政者)に対してはまだまだ不十分という事ではないでしょうか。

物理学が「鉄の塊が空を飛ぶわけないだろ」という庶民の生活実感に基づく印象論を、実際に実証してみせる事で覆し信用を得たように、経済学的なロジックが庶民(や為政者)の信用を得るのには、理屈うんぬんを説くのではなく、その正しさを実証してみせるのが早道なのかも知れません。
しかし、特に新自由主義経済学の流行以来、経済学者の言う通りにすればするほど、社会経済状況が悪化しているような印象(もちろん気のせいなのでしょうけど)を抱いている庶民は多そうです。そういう意味では、竹中平蔵氏が経済学的なロジックの信用失墜に果たした功績は決して小さくないと言えるかも知れません。

>luke_randomwalkerさん「失敗を繰り返さないためには、“消費者金融=高金利=悪徳業者”といったステロタイプな見方や、“規制で価格(金利)を無理矢理引き下げれば解決する”といった間違った考え方を改めてもらえるよう、少しでも知識を広める努力をするしかないと思います」

NATROMさんの問題のエントリ記事(↓)
 http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20080801
やそのコメント欄でも指摘されていますが、熱心に「リボ払い」を推奨していたりするように、消費者金融業者自身がその(望ましい)努力とは正反対の事をしているように、私には見えます。
luke_randomwalkerさん自身が『NATROMの日記』で「いずれにせよ、“借金”というと拒否反応を示すような人にお金を借りてもらうために、クレジットカード会社は、実にうまくやっていると言えるでしょう」とコメントされていますが(↓)、
 http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20080801#c1218097609
正直に言えば、私には現在の消費者金融が(「悪徳業者」とまではいかないまでも)社会全体としては望ましくないもの──(市場主義的に)望ましい当然すべき自己利益追求行動をする事が結果として長期的にみて社会全体の効用を低下させるもの──と映っています。
その理由としては、このエントリ記事の【b】に書いたような疑問だけではなく、NATROMさんが問題のエントリ記事を書いた動機にもなった「みんなそんなに借金好きか?」「お金がないなら海外旅行は我慢しろ」「“遊びに行くのにちょっとお金が足りないから借りる”とか、“チワワが欲しいから借りる”とか、そんなのばっかりだった。いい大人なんだから、チワワは我慢しろよ」といった(感情的・直感的な)道徳観・倫理観が失われる(むしろそのような道徳観・倫理観から解放される事こそが目指される)事の社会的帰結に対する危惧もあります。
──要するに、一般庶民は、完全競争の条件のなかの「非外部性」にとてつもなく強い疑問・不信があるので、消費者金融が利益追求を行う事(市場主義的にはそれは望ましい資源配分を保証し社会全体の効用を向上させるはずの行為)を「“悪徳”ではない」と思う事ができないのだろうと考えているわけです。
もしもその認識が誤解なのだとすれば、その誤解を解くのは経済学の仕事ではないのかも知れませんが、経済学を誤解している(私を含めた)多くの人はその事を分かっていないと感じますし、経済学者がそれを分かってもらおう(ないし、そもそも誤解されないように振る舞おう)と努力しているようにも見えていないだろうと思います。

>luke_randomwalkerさん「それ以外(一部の人の効用は増えるが別の人々の効用は減る)は、経済学でよいとも悪いとも言えない問題です」
>luke_randomwalkerさん「この場合、上限金利規制がよいとも悪いとも言えません。少なくとも根本的な解決策にはなっていません」

一般庶民や為政者の関心はまさにその点にのみあるわけです。ですから、消費者金融市場への望ましい介入策の議論において経済学者が発言する場合は、最初にこの点についての留保を明言しておけば不要な誤解や混乱は避けられたかも知れません。
私もそうでしたが、「Aさんが借金して海外旅行に行く事を可能にしているシステムは、これだけの過剰消費・過剰負債に苦しむ人を構造的必然として生み出します。それでも社会全体としては、Aさんが借金して海外旅行に行ける事のほうを優先すべきです」と経済学的なロジックが主張していると誤解している人は多そうです。

投稿: 田部勝也 | 2008年8月 8日 (金) 20:33

> 市場の価格機構(需給均衡理論)や、その前提となる完全競争の条件などはどれをとっても、おそらく多くの一般庶民にとって、あまりに生活実感とかけ離れた非現実的な前提です。

そうですね。非現実的に単純化したモデルではあります。しかし、多くの場合に現実をよく近似するモデルでもあります。

物理学で使われる「空気抵抗は無視する」とか「剛体とみなす」なんていうのも、似たようなものだと思うのですが。

> 物理学が「鉄の塊が空を飛ぶわけないだろ」という庶民の生活実感に基づく印象論を、実際に実証してみせる事で覆し信用を得たように、経済学的なロジックが庶民(や為政者)の信用を得るのには、理屈うんぬんを説くのではなく、その正しさを実証してみせるのが早道なのかも知れません。

適切な教育を受けない限り、庶民の生活実感が、物理的事実と必ずしも一致しない(天動説、地球は平ら、重いものが速く落ちる等と思ってしまう)のと同様、なかなか「生活実感で真実を感じ取る」というわけにはいかないものでしょうね。しかし、たとえば需給均衡に関して言えば、商売をしている人は明確に感じているはずですが。(野菜や魚の卸売市場なんかは、完全競争市場に近いです。)

経済学で実験というわけになかなかいかないのがつらいところです(最近は、実験経済学という分野も出てきているそうですが)。しかし、たとえば今回の上限金利規制などは、理論的に予測されたことがまさに起こっているのではないでしょうか。

> 熱心に「リボ払い」を推奨していたりするように、消費者金融業者自身がその(望ましい)努力とは正反対の事をしている

「ご一緒にポテトもいかがでしょうか?」や、「シャツとジーンズ、セットで買うと10%引き!」などとどこが違うのでしょう? どの業界でも、すきあらば余計なお金を払わせようと努力しているのではないでしょうか? なぜ金融業界だけは「悪徳」と思われてしまうんでしょうね…

> 「お金がないなら海外旅行は我慢しろ」「“遊びに行くのにちょっとお金が足りないから借りる”とか、“チワワが欲しいから借りる”とか、そんなのばっかりだった。いい大人なんだから、チワワは我慢しろよ」といった(感情的・直感的な)道徳観・倫理観が失われる(むしろそのような道徳観・倫理観から解放される事こそが目指される)事の社会的帰結に対する危惧もあります。

なんとなくわかる気もするのですが、「いい大人」である他人に自分の道徳観・倫理観を押しつけようとするのは、どうも共感できません。

実は、消費者金融つぶしが一段落したら、次はクレジットカード叩き、その次は住宅ローン、と進んで、消費者は誰も借金しない(そのかわり、若い人がローンで自動車を買うこともできす、サラリーマンは老年まで家も持てない)清貧にして陰鬱な世の中がやってくるのでは、と半ば予想しています。

>>luke_randomwalkerさん「この場合、上限金利規制がよいとも悪いとも言えません。少なくとも根本的な解決策にはなっていません」

>消費者金融市場への望ましい介入策の議論において経済学者が発言する場合は、最初にこの点についての留保を明言しておけば不要な誤解や混乱は避けられたかも知れません。

論文では、相手も経済学者でしょうから、わざわざそういうことは書かないでしょうね。
金融庁の懇談会などでは、経済学者の出番はなかったようです。

>私もそうでしたが、「Aさんが借金して海外旅行に行く事を可能にしているシステムは、これだけの過剰消費・過剰負債に苦しむ人を構造的必然として生み出します。それでも社会全体としては、Aさんが借金して海外旅行に行ける事のほうを優先すべきです」と経済学的なロジックが主張していると誤解している人は多そうです。

単純によい・悪いという結論が経済学で出てこないのは確かですが、私としては、現在のところ金利上限規制には反対です。なぜなら、
・解決策にはなっておらず
・経済的に苦しむ人はかえって増え
・業界だけでなく、世の中が貧しくなる(GDPが減少する)
からです。

言い換えるなら、「Aさんが借金して海外旅行に行く事を可能にしているシステムは、Bさんが事故などで突発的にお金が必要になった時に助けるシステムでもあります。Aさんの楽しみ(効用向上)とBさんへの救い(効用向上)は同じものです。このシステムを潰してAさんの楽しみを奪い、Bさんを苦しめることだけが、過剰消費・過剰負債に苦しむCさんを救う道ではありません。」ということになりましょうか。

投稿: luke_randomwalkerさん | 2008年8月 8日 (金) 23:19

連投すみません。

>望ましい当然すべき自己利益追求行動

ちょっと補足しますと、経済学で望ましいとされる企業間の競争は、個々の企業にとっては望ましくないもの(避けるべきもの)ということになります。

皆が自己利益さえ追求すればOKと経済学で考えているわけではないです。

そのあたり、
http://wiredvision.jp/blog/iida/200712/200712110100.html
や、その前後の記事
http://wiredvision.jp/blog/iida/200711/
http://wiredvision.jp/blog/iida/200712/
などが参考になるのではないかと思います。

投稿: luke_randomwalkerさん | 2008年8月 8日 (金) 23:39

だいぶ頭が整理されてきた気がします。出来の悪い生徒に大変辛抱強く付き合って下さっているluke_randomwalkerさんには心から感謝しないといけません。本当にありがとうございます。こうして誰でも気軽に専門家から(luke_randomwalkerさん自身は「私も経済学の専門家というわけではなく」と謙遜されていますが)個人教授を受けられる機会・手段が身近にある現代は本当に凄いですね。

返信の順序が前後しますが、まず一番気になったこの記述から。

>luke_randomwalkerさん「金融庁の懇談会などでは、経済学者の出番はなかったようです」

これはちょっと一般庶民としては非常に理解しがたい話です。
たとえば、新型インフルエンザのリスクを検討する政策懇談会に科学者の出番がないという事は想像できないし、次期国産主力宇宙ロケットの仕様を検討する政策懇談会に技術者の出番がないという事もありえないでしょう。「金融庁の懇談会で経済学者の出番がない」という事は、金融庁の職員は皆、経済政策において経済学者から学ぶべき事・得る事はないと考えているのでしょうか。
エントリ記事の【a】の話題に戻ってしまいますけど、私のような無知蒙昧で無責任な一般庶民が経済学の価値を正当に判断できないのはともかく、為政者がそんな事では本当に困りますね。具体的な事情は知りませんけど、これは経済学者としては存在意義を問われる許し難い事態でしょうし、ジャーナリズムもこの事態の持つ意味を良く吟味して欲しいと願います。
権威主義に無条件でおもねるつもりはありませんが、為政者が信頼していない(ように見える)ものを一般庶民が信頼しろというのはなかなか上手くいかないでしょう。

>luke_randomwalkerさん「ちょっと補足しますと、経済学で望ましいとされる企業間の競争は、個々の企業にとっては望ましくないもの(避けるべきもの)ということになります」

いくら私でも、さすがにその点に関する誤解はないと思います。

ところで、luke_randomwalkerさんに紹介していただいた、飯田泰之氏のWebコラム『飯田泰之の「ソーシャル・サイエンス・ハック!」』(↓)
 http://wiredvision.jp/blog/iida/index.php
は本当に面白いですね。非常にイメージしやすい感じ。これまで知識としてだけの「理解」だったのが、ちゃんと「納得」になるというか……(いや、そもそも「理解」もしていなかったわけですけど(苦笑))。たとえば、上のコメントで私が書いた(↓)
-----【以下引用】----------
──要するに、一般庶民は、完全競争の条件のなかの「非外部性」にとてつもなく強い疑問・不信があるので、消費者金融が利益追求を行う事(市場主義的にはそれは望ましい資源配分を保証し社会全体の効用を向上させるはずの行為)を「“悪徳”ではない」と思う事ができないのだろうと考えているわけです。
もしもその認識が誤解なのだとすれば、その誤解を解くのは経済学の仕事ではないのかも知れませんが、経済学を誤解している(私を含めた)多くの人はその事を分かっていないと感じますし、経済学者がそれを分かってもらおう(ないし、そもそも誤解されないように振る舞おう)と努力しているようにも見えていないだろうと思います。
-----【引用終了】----------
のような不信・不安について、とても丁寧に分かりやすく誤解を解きほぐそうとされている努力や姿勢が記事全体から伝わってきて、好感が持てますね。
まだ全体には目を通してはいないのですけど、いずれじっくりと勉強させて頂こうと思っています。紹介して頂いて本当にありがとうございました。

投稿: 田部勝也 | 2008年8月11日 (月) 00:35

──で、以下は、感想というか雑談というか、そんな話になります。

>luke_randomwalkerさん「しかし、たとえば需給均衡に関して言えば、商売をしている人は明確に感じているはずですが。(野菜や魚の卸売市場なんかは、完全競争市場に近いです。)」

そうなのでしょうね。これは個人の実体験に因るところが大きいのかも知れません。
ちなみに、自分は下町の商売人の家に生まれ育っているので、まわりに「あそこの焼き立てパンはいつも開店1時間も経たないで売り切れになるのに、値上げも増産もしない」というパン屋さんとか「不況で値上げするけど、一番人気のこのメニューだけは価格据え置きにします」という定食屋さんとか、そういう行動原理(?)の店ばっかりで……あ、だから地方の商店街がみんな廃れたのかなぁ(苦笑)。
そういう環境で育つと、「摩擦が大きい場合→摩擦が小さい場合→じゃあ摩擦がない場合は?」とか「重い物と軽い物を結びつけて落としたら?」とかいったふうに漸次的な理解から生活実感と結びつけるようには、なかなか理解が進まないみたいで苦労しています。

>luke_randomwalkerさん「どの業界でも、すきあらば余計なお金を払わせようと努力しているのではないでしょうか? なぜ金融業界だけは「悪徳」と思われてしまうんでしょうね…」

なぜなんでしょうね。私個人の(極めて主観に基づいたいい加減な)見解は上のコメント(↓)
 http://k-tabe.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_5ed2.html#comment-32735151
に書いた通りですけど、そのへんの心理的メカニズムにはとても強い興味を覚えます。自分がその心理的陥穽(?)に見事なまでにハマり込んでしまっているだけに……(苦笑)。興味深い研究テーマだと思うので、もうとっくに誰かが研究しているとは思うのですけど、どこかに一般向けの解説はないか是非とも見つけてみたいですね。
「リボ払い」に関して言えば、「ポテトもいかがでしょうか?」に比べて「顧客の益になるかも知れない」という店側の善意を酌む余地は少ない気はします。「このメニューにはポテトがとても良く合うんです」「一緒に食べればお客さんも満足、私も売上げアップで満足。みんな幸せ」と本気で思っているのかな──と無理矢理好意的に解釈する余地の多寡は関係しているのかも?
もしも、同じ内容でセットメニューのほうが割安なのに、セットメニューを勧めずに「ポテトもいかがでしょうか?」と言っているのならば、「悪徳」と感じる人は多くなるかも知れません。
いずれにせよ、たぶん、経済学ではなく心理学の取り組むテーマですね。

>luke_randomwalkerさん「なんとなくわかる気もするのですが、「いい大人」である他人に自分の道徳観・倫理観を押しつけようとするのは、どうも共感できません」

おっしゃる通りですね。
ただ、そもそも、元々の文章は「なぜ“消費者金融”=“悪徳業者”といったステロタイプな見方が一般庶民に広がっているのか」という疑問を私なりに考察したものであって、「“消費者金融”=“悪徳業者”というステロタイプを持った人たちは、道徳観・倫理観がこういうものだからではないか」という文脈で書いたつもりでした。それを「自分の道徳観・倫理観の押しつけ」と言われたので、少し戸惑っています。
確かに、「“消費者金融”=“悪徳業者”というステロタイプを持った人たち」に代弁させる形で自分の道徳観・倫理観を表明した部分もありますけど、そうだとしても、私は「この道徳観・倫理観が社会から失われる事の危惧」を表明しているので、「その危惧はこれこれこういった理由で杞憂である」といった種類の反論を期待するのは不当ではないと思います。自分の道徳観・倫理観を押しつけるような事はしたくはありませんが、ある道徳観・倫理観が私や私の住む社会にとって著しく有害だと思えば、それを批判したり、それが社会に浸透する事に対して危惧や不快感を表明したりするのを控えるべき理由は思い当たりません。そういった批判に対して「その指摘はこの点で間違っている/杞憂である」といった反論は大いにされるべきだと思いますけど、「自分の道徳観・倫理観の押しつけ」と言われるのは少し違和感を持ちます。
まぁ、そうは言っても、相手の道徳観・倫理観を批判する事で、暗に自分の道徳観・倫理観の優越性を主張している──要するに「自分の道徳観・倫理観の押しつけ」と変わらない──と言われると反論できないのですけど……。う~ん、意見の表明というのは難しいですね。

──で、以下はまさに「自分の道徳観・倫理観の押しつけ」な文章なのですけど、こんな考え・感性の人間もいるというサンプルとして斜め読みして頂ければ幸いです。

>luke_randomwalkerさん「実は、消費者金融つぶしが一段落したら、次はクレジットカード叩き、その次は住宅ローン、と進んで、消費者は誰も借金しない(そのかわり、若い人がローンで自動車を買うこともできす、サラリーマンは老年まで家も持てない)清貧にして陰鬱な世の中がやってくるのでは、と半ば予想しています」

自分は「分相応/不相応」という判断基準に拠る部分が強くて、「清貧にして陰鬱な世の中」が人類としての「分相応」ならばそうあるべきだ──と、どうしても考えてしまうんですよね。「買いたい物を買えない」という事態に対して、(1)分不相応な要求をしている個人の問題、(2)必要なモノを必要な人に供給できない社会構造の問題──という視点でしか考える事ができなくなっている感じなのかも知れません。
(2)の解決策として「借金」というシステムがあるのでしょうけど、もし「借金」がなければ需要曲線はずっと左にシフトするはずです。均衡点ではもはや供給者に利益が出ないので供給不足が起きるでしょうが、技術革新なり構造革新なり生産性を上げるインセンティブは生じるはずですし、投資もより慎重で思慮深くなるでしょう。むしろ「分不相応」な消費・投資を奨励する「借金」ありの場合のほうが(需要曲線が甘くなるという意味で)持続可能な社会経済の構築には不利になるという気がしないでもありません──というのは素人の思いつきの強引な屁理屈ですが……(苦笑)。
なんというか、なんだかとっても無理を強いるシステムに見えるんですよね。たとえて言うなら、今日は明日の分を前借りして、明日は3日先分までを前借りして、さらに次の日にはその先の1週間分を前借りして、……というふうに社会全体が回っているように見えて怖いんです。もちろん何の根拠もない印象論なのですけど、資源の枯渇とか地球の扶養限界能力問題とかバブルの崩壊とか都合の良い話ばかりに目が行って、合理的・論理的な視点・説明には耳を貸さずに、一人で愚かしく怖がっている感じでしょうか(「9.11陰謀論」や「買ってはいけない」に煽られた人たちと同じような心理かも知れません)。
「“清貧”=“陰鬱”なのか?」「GDPの減少は不幸なのか?」といった話は、バブル期にだいぶされたような気もしますね。曰く「経済的にはこんなに豊かになったのに、なぜ幸せじゃないのか?」みたいな、これも多くは印象論の範囲を出ない居酒屋談義でした。自分の話も含めて、ほとんどはこんな話(↓)
 http://d.hatena.ne.jp/FUKAMACHI/20070111
と五十歩百歩のものだったかと思います。なんとも人間というのは不合理にできているものなのだなぁ……と痛感させられます(いや、この文章も居酒屋談義以上のものではないのですけど(苦笑))。
いわゆる「ニセ科学」問題などに関わってきて思い知らされてきたのは、一度腑に落ちてしまった道徳観・倫理観の修正というのは(それが善意や正義感に基づく場合であればなおさら)とても難しいものだという事です。自分も決して例外ではありません。一概にそれが悪い事だとは思いませんけど(むしろある程度そういう傾向がある事は望ましいとさえ思うけど)、何事も程度が過ぎるのは褒められた事ではありませんよね。
う~ん、結局は謙虚に勉強していくしかないんだろうなぁ。なんだか人生相談みたくなってきた(苦笑)。

>luke_randomwalkerさん「言い換えるなら、「Aさんが借金して海外旅行に行く事を可能にしているシステムは、Bさんが事故などで突発的にお金が必要になった時に助けるシステムでもあります。Aさんの楽しみ(効用向上)とBさんへの救い(効用向上)は同じものです。このシステムを潰してAさんの楽しみを奪い、Bさんを苦しめることだけが、過剰消費・過剰負債に苦しむCさんを救う道ではありません。」ということになりましょうか」

この説明に私が生理的な嫌悪感を拭えないでいるのは、次の2つの感覚が邪魔しているからだと思います。
【ア】「Bさんが事故などで突発的にお金が必要になった時に助けるシステム」は、「これだけの過剰消費・過剰負債に苦しむ人を構造的必然として生み出すシステム」しかないのか。もしこのシステムがなければ、Bさんはもっとマシなシステムを発見し、それに頼る事もできたのではないか。
【イ】「Bさんが事故などで突発的にお金が必要になった時に助けるシステム」が、「これだけの過剰消費・過剰負債に苦しむ人を構造的必然として生み出すシステム」しかないのだとしたら、もっとマシな代替システムを模索し構築する社会的努力が足りないのではないか。さらにいえば、このシステムの積極的肯定がその努力のインセンティブを弱めているのではないか。
【イ’】そもそも、「Bさんが《不可避な》事故などで突発的に《Bさん自身が負担しなければならない》《“これだけの過剰消費・過剰負債に苦しむ人を構造的必然として生み出すシステム”に頼らざるを得ないほどの》お金が必要」になるような事態が頻繁に発生しうる社会構造そのものが問題なわけで、(リスク学的に)より頑健な社会システムの構築の研究・試みこそが奨励されるべきではないか。

私は以前、『kikulog』(↓)
 http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/
に次のようなコメント(↓)を書いた事があります。考え方としてはその延長と言えるかと思います。
 http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1204070813#CID1204299371
なお、このコメントを読む際には、以下のコメント(↓)も併せて読んで頂きたいと願っています。
 http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1204070813#CID1215449201

投稿: 田部勝也 | 2008年8月11日 (月) 00:57

久しぶりに、ここでのやりとりを見返してみました。

『kikulog』の古いエントリ「道徳やしつけの根拠を自然科学に求めるべきではない」(↓)
 http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1164299987
のコメント欄での議論で、私はもっとも強硬に「道徳やしつけの根拠を自然科学に求めるべきではない」と主張していたと思います。

いくつかあるその論拠のうちの一つが、以下のようなものでした。
--------------------
例えば、「早起きは健康に良い」は道徳でもなんでもないわけです。道徳であるためには、「早起きすべきだ」と言わなければ成り立ちません。
仮に、「早起きすべきだ」の根拠が、「早起きは健康に良いから」という科学的知見だけだとしましょう。それは、実は、「早起きの是非は、早起きに関わるすべての影響・利害・損得などのうち、“自身の健康に対する影響”を最も重要視すべきだ」という道徳観・価値観の表明であるわけです。この場合、何を重要視すべきかが何らかの科学的知見から導かれる──という可能性が、恥ずかしながら私には想像できないのです。
しかし、道徳観の正当性を科学的知見に求めたがる人というのは、「早起きは健康に良いという科学的知見がある。だから、早起きすべきだ」と言うだけで、自分の道徳観の正当性が科学的に証明された(つまり対立する道徳観は間違っている)と考えたがる傾向はないでしょうか。
 
科学的知見に道徳観の正当性を求める行為は、このような感じで、根本的な議論を忘れさせてしまう気がするのです。例えば、「早起きは健康に良い」「いや、そうとも言い切れない」といった科学的知見の収集に、問題を矮小化させてしまいがちになる事を危惧しているわけです。

 http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1164299987#CID1170079605
--------------------

なんだか、かつて自分の非難した行為・姿勢を、ここの「消費者金融の規制問題について。」の議論では、まさに自分がしているような気がしてきました。上のたとえ話で言えば、「早起きの是非は、早起きに関わるすべての影響・利害・損得などのうち、“自身の健康に対する影響”を最も重要視すべきだ」というところでの議論や前提の確認のないまま、「早起きは健康に良いかどうかの科学的知見に関する議論」をしている感じですね。
なんというか、自分はまだ、「どういう社会が良いのか・望ましいのか」「どういう社会を欲しているのか」という議論と、経済学の議論とを、峻別できていないみたいです。
「道徳と科学の峻別」はこれほど厳格にできる(と思っている)人間でさえ、経済学に対してはこの体たらく……というのは、自分でもちょっと不思議な感じがします。

投稿: 田部勝也 | 2008年9月11日 (木) 21:04

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/222263/42091937

この記事へのトラックバック一覧です: 消費者金融の規制問題について。:

« とりあえずURLを確保。 | トップページ | 誠実さで判断する/される事のコスト?【追記あり:09/2/21】 »